国際系なのに英語苦手な人の話「自信過剰編」
「Can you speak English?」
この言葉を聞くと僕はなんだか寒気を覚えるのである。
中学校にいた時の僕の答えはもちろん自信満々に
"Yes, I can"と答え、先生からお褒めの言葉をもらい満足していたところだろう。
しかし、今はどうだろうか?
おそらく、怖気づいて"Well... I can't speak English fluently like you"
とでも言ってしまうかもしれない。
欧米の人々はなんだか思ったことを率直にしゃべる傾向にあるという日本人独特のステレオタイプがあるらしいが、私はなんだかこのフレーズの奥にあるニュアンスを読み取ろうとしてしまう。
そして、問いかける
「俺は、英語が喋れるのか?」
今となってその答えは明らかにYesよりもNoによってしまっている。
中学の時の答えとは全く異なったものになっているのである。
ここで改めて皆さんに質問させていただこうと思う。
「みなさんは英語をしゃべることが出来るだろうか?」
これに対しての皆さん自身の答えを予測しつつ、自分が今までに歩んできた英語との関わりの変遷について語り、参考にしていただければと考えている。
また、この記事に関しては3パートぐらいに分かれるのであしからず。
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さて、みなさんが初めて英語に出会ったのはいつ、どのような機会だろうか?
よくある答えとしては、NHKで放送されていた子供向けの英語番組や、英会話教室、もしくは、ABCの歌なんといったものが挙げられるだろう。
で。僕は何歳から英語に出会ったのかというと...
3歳からなのです。
ただ、別にこれは全く親から英才教育を受けていた、とか、幼いころから英語に興味を持つマルチリンガル幼児現る!? とかではないのだ。
僕の家庭はごく普通の一般家庭ですし、肌が黒いことから東南アジア出身的なことをよく言われますが、ただの準ジャパニーズの縄文人なわけだ。
で、じゃあなんでそんな幼いころから英語に触れていたのか?というと
これ。
でました。小さい子が大好きといったらこれ。アンパンマンですね。
このおもちゃに当時3歳の僕ははまりにはまってしまっていたとのこと。
母親曰くこのおもちゃへのがっつきぷりは異常だったようで。
そして、アンパンマンと学んだ英語は非常に楽しいものだったようで
その後NHKの英語の教育番組が大好きになり、自然と英語は楽しいものという認識が生まれた。
その後、小学校の時にもNative speakerの先生のもとで英語の授業などもあったが
そもそも小学校の勉強で全く躓くことのなかった当時まではぎりぎり天才のKantabile少年はその後もめきめきと英語に興味をもち、英語に対しての自信をつけていくのでした。
まだ、このころまでは問題ない。むしろ、過去の栄光に縋りつくわけではないのだが、このころの僕は英語に3歳から興味を持てた時点でなかなかの奇跡だったと思うし、勉強でも100点以外とると以上に悔しがるめんどくさいタイプのできるやつだったのでまあいいだろう。
問題はここからだ。
中学受験をして中高一貫校タイプの高校に入った僕は、その学校が英語に力をかけているということから妙な勘違いをし始める。
例えば、僕は幼いころからピアノを習い事として行っていた。そのため、耳もよく耳で聞いたものをそのまま物まねするオウムみたいなことがよくできた。
このしょうもない特技は英語でも生きた。口もよく回るので先生の言った英語を繰り返すときは誰よりもはやく誰よりもそれっぽくしゃべろうとした。
そういうことだけは出来て"しまう”のである。
そのため、学校の中でもなんとなーく英語が出来るという勝手なイメージを持たれ、そのイメージはよけいに自分の自信を膨れさせていったのである。
また、英語が強い高校に属しているんだぞという無駄な集団への帰属意識があるためにより一層自信は膨らんだ。テストもある程度できてたし。
で、どのようなことが問題かというと。
勝手に自分の中で「英語的な発音」をイメージするがゆえに本当のナチュラルな英語にも耳を傾けず自分の世界に入ってしまったのである。
たまに、いる”癖が強い”英語の発音である。
そう。結果としてここからしばらくの間(もしかしたら今も)
”ナチュラルっぽい英語”での発音しかできないのである。
また、この頃の僕は英語が出来るという勝手な思い込みのせいで英語を聞き取るための勉強をやらなかった。
学校で配られた英検や試験対策のCDなども家に帰ればすぐ捨てる、また、リスニングなんてものはなにそれ、おいしいのっていう有様。
そして、単語テストも朝やるだけという堕落ぶり。あの頃の英語に興味を持つ神童は跡形もない。
(これで何とかなってたのが今考えるとすごい。)
その結果。英検準2級の面接時に奇跡的な答弁をするのだった。
それは絵にかいてある人の行動を答える時だった。
試験官「What is she doing?(ドアを修理している女性を指さして)」
僕「She is ... making door」
試験官「What is he doing(箱を包んでいる男を指さして)」
僕「He is ... making box」
といった具合だ。
そう彼のボキャブラリーにおいてはmakeが現代語の”ヤバい”ぐらいの広い意味を持っていた。
しかし、なんの間違いか、見事英検にも合格、その後も彼は勝手な思い込みから生まれる自信をつけ続けるのだった。
さて、高校に入ってからの話は次回にさせていただこう。このままだと僕という存在が非常にうざい。
この記事から何を言いたいかは少しずつ分かってくると思うので気長に待っていただきたい。
それでは。